子供の頃から、絵は好きでしたが、本当に絵を描くことを真剣に目指そうと考えだしたのは、子供が一人、二人と独立していき、必死で働かなくてもよくなってからでした。今はまた家族が戻ってきたりで必死で働いてますけどネ(汗)。
しかし、私の人生に欠けていることがだんだんと見えてきたのです。
デッサンの向こう側
美術館へ巨匠の絵を見に行ったり、友人の個展を訪ねたり、テレビで垣間見た日本の夭逝した無名画家の回顧展を見に行ったりしました。
作家の絵を見るうち、「これは大変なことだぞ」と思い始めました。
というのも・・・
漫画に憧れる
小学校の頃から絵が大好きでした。その頃はイラストなんて言葉もよく理解できていない時代でしたので、漫画が大好きでした。
その頃は、漫画を読むとバカになる、と言われていた時代でしたが、両親は黙認で、父は「火の鳥」や「ジャングル大帝」を買ってくれました。
「宇宙って何?」「空の向こうには広大な空間と時間がある」
なんて想像を膨らませていた「小学生の女子」は変な子だったでしょうね。
今思うと、父は、戦争中は「ゼロ戦」の技術者で戦後は機械設計を生業とする、科学オタクでした。
「火の鳥」は人間と宇宙をテーマにロボットを巻き込んで壮大な時間軸で描かれた漫画です。小学校3年生の女子の宝物でした。
こんな漫画描いてみたい!
無謀にもそんな夢を抱いた絵が好きなだけの小学生の夢は叶うはずもなく・・・
素人は常識を優先する
忘れもしません。
それは小学校の図画工作の時間でした。
「となりにすわっている友だちのかおをかきましょう」
ということで、水彩画を書きました。私の隣の子は「Y子ちゃん」という真っ赤なほっぺの色白のカワイイ女の子。喜んで描きました。感じたままに。真っ赤なほっぺと唇は赤で、ピンクのおでこと顎はピンクで。
ところが、ところがです。
「友達の顔を赤で描くなんて!」(実際は濃いオレンジ)自分ではとてもうまくかけたつもりなんですが、塗り直しをさせられました。
でも赤い絵の具は肌色を上から塗っても汚いだけ。結局グチャグチャですよ。
その後数年は人に絵を見せられなくなりました。痛かったですねえ、この出来事。
小学校って今では専門の先生がいる学校もありますが、担任が教えているところも多いようです。図工は専門の先生が必要です。絶対!
この担任、名前もしっかり覚えています。忘れられないです。
立ち直りに数年かかる
「シャガールが描く女性はどんな顔をしてるの?」
「ピカソが描く女性は目がこっちにもあっちにもあるんじゃないの?」
とまあ具体的に考えたわけではないですが、そんな雰囲気のことをなんとなく感じていて、徐々に傷は癒えて行きました。
おしゃべりがとても苦手な私の表現方法は「絵」でもいいんじゃないかな、と考え始め、やっと自信を取り戻したのは中学に入ってからでした。中学校の美術クラブで新聞社の写生会へ出かけて、特別賞を頂いて、新聞にも載りました。「中学生のMac星人さん特別賞を受賞!」なんちゃって。嬉しかったなあ。
絵は見た目より中身が大事
絵にしろイラストにしろ技術的に裏打ちされて、いかに自分の思いや感性を表現しているかが大事なんです。でも表現しようとすればするほど上手くないと表現しきれないジレンマに陥ります。
表現力と技術は車の両輪で、技術が上がれば表現力はついてきますし、現代アートのチンプンカンプンな絵が何故描かれたのか、何が素晴らしいのかも理解できていきます。
上手くなるための技術、そのために必要なのが「デッサン力」。いろんな画家の絵を生で見て感じたことはこれでした。
圧倒的な「デッサン力」です。
「デッサン」する。
きちんと「デッサン」を習ったことがないので、見よう見まねで「デッサン」を始めたました。が一人で描くのには限界があります。
大人のお絵かき教室でと考え、見学に行きましたがなんか違うんです。デッサンの技術は鉛筆の持ち方や線の引き方だけではない、もっと何かあるんじゃないかと。
結論から言うと、芸大へ行くことにしました。仕事しなければならないので通信制ですが、卒業できました。
卒業後の活動を楽しみにしています。
思うに
介護業界で仕事をすると先々どう生きていけば良いのか考えさせられます。健康とお金があればなんとかなるんでしょうか、、、
ただ食べて、寝て、なおざりの楽しみにしがみつく人生は生きていると言えるのか?
考えさせられますね。
私の絵を載っけたgalleryを公開しました。
是非見て行ってね🩷
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