「火の鳥」
「鉄腕アトム」
「ブラックジャック」
などの原作者、手塚治虫氏を見たのは、
高校3年の時。
美術クラブの友達と、
手塚治虫の講演を京都市立芸大へ
聞きに行きました。
多分秋に行われる芸大祭の催し物の1つ
だったと思います。
ところが講演は最初の予定より
一週間延期になりました。
それも講演時間になっても現れず、
一時間半くらい待たされました。
今東京からこちらに向かってる
とかなんとか。忙しい手塚氏の都合だ
という触れ込みでしたが、
実際は本人が忘れてた
という嘘みたいな本当のお話。
超多忙を極めていた手塚氏だったからか、
とても変わった人物で
マイペースの王様だから、
という噂が流れていて、
手塚氏だから許される、
みたいな話でした。
登場した手塚治虫氏は、
いつものベレー帽を被って、
ニコニコ自分のことを喋っていました。
話のつかみは、「鉄腕アトム」の髪型(?)
はどこからきているか、という話。
なんのことは無い、アトムの頭の形は
手塚氏の風呂上がりの頭だそうです。
そして「ランプ」「ヒゲおやじ」など
どこにも登場するキャラクターは、
実際の友達がモデルで、
「ヒョウタンツギ」は妹の落書きだそうです。
自分の身の回りの事が
キャラに関わっていた感じです。
戦時中に医学部へ
行ったのは徴兵を逃れるためだったとか。
医者は戦争に行かなくてよかったんですね。
仕事しないで絵を描いていたそうです。
それから「鉄腕アトム」は
アメリカでは暴力的で子供に見せられない、
とか評判が悪かったらしく、
「なんでやねん」
とは言わなかったですが、
ぼやいてました。
現在のアニメ界の世界的なシェアを見たら、
手塚氏はびっくりするでしょうね。
彼が今の漫画界の創始者だなんて、
本人は意識していなかった
んじゃ無いでしょうか。
関西人の宿命か、
ウケ狙いの話がポツポツ入る話で、
どこにあの壮大な
時間と空間を描く頭脳があるんだろう
と思わせるような、
ごくごくふつ~の気のいいおじさん(当時40代)でした。
30分かそこら喋って帰られました。
昭和が終わる頃に
亡くなったんですが、
まだ存命だったら90歳代くらいですか。
近年亡くなった「アンパンマン」の原作者、
やなせたかし氏と同じくらいですね。
手塚氏はなくなるまでベッドで仕事していたとか。
生きていらしてたら、
どんな作品ができていたんでしょうね。
とても残念です。
デジタルでアニメが制作できる現代で、
彼がいたらどんなアニメができていたでしょうか?
Macの前で頭を掻いてる手塚氏、
想像すると なんていうか
面白いですね。
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